2017年9月25日

「ふにゃけた奴と硬いやつ」

「ふにゃけた奴と硬いやつ」

 

 園長の竹田です。大型の台風18号が列島を駆け抜けていったようですが、皆さんのお家は大丈夫でしたでしょうか?秋が急速にやってきてイネは急に黄金色を増し、稲刈りの済んだ田んぼがこちらでは半分くらい見受けられます。ムシも鳥も急速に顔が変わっていきますね。

 

 

 動物の話をすると、動物にも色々なものがあることをはじめに認識しておきましょう。おおざっぱにみると動物には放射対称のものと左右対称のものがあり、前者が原始的で、サンゴやクラゲといったものがその代表です。刺胞動物(昔は腔腸動物と呼ばれた消化管に似た形のもの〉から後者が生まれて行き、さらに2つに分流して一つは背骨のある脊椎動物(人がその頂点)と脊椎を持たないもの(無脊椎動物)に分かれていきました。 

 

 脊椎動物になったものの祖先は棘皮動物というナマコのようなものです。無脊椎動物の頂点にいるのは昆虫を頂点にした節足動物です。無脊椎動物にはかたい殻をもった節足動物のほかにぐにゃぐにゃした蛸やイカ、ナメクジのようなもの(軟体動物とよばれる)もいます。ゴキブリでもコオロギでもいいのですが、例えばダンゴムシに意識があるかというテーマで研究している人がいる(神戸大の出身者で)一方で、烏賊にイカの意識があるかというテーマで研究している人もあります。これらの生物はそれぞれにユニークで蛸は烏賊とはずいぶん違います。でも両方とも大きな目が在って色々な視覚情報でうまく餌をとったり群れを形成します。

 

 これらの動物がそれから進化してきた二枚貝の仲間とはずいぶん違います。蛸はずいぶん知能が発達していて瓶に入った餌を蓋を開けて食べたり、いろいろな形を認識し学習することが知られています。烏賊のほうはずいぶんとデリケートでいじめるとすぐ死んでしまうし、孤独にしただけでももう駄目のようです。単独性のモンコウイカという体の側にビラビラしたえらがある仲間は、怒ると体に独特の縞模様が出たりして面白いのですが、なじみのスルメイカなど群れを作るツツイカの仲間でも隣に雄が来たりメスがきたりするほかに間に挟まったりすることもあり、そうすると体の真ん中を挟んで右と左の模様を変えることもできるのだそうです。烏賊やタコはレンズ眼を持っていて視覚が発達しています。それで社会的な状況をよく認識し、鏡を見て自己認識や他者認識もするようです。驚きですね。

 

 烏賊や蛸の仲間は恐竜の栄えた中生代の海で大発展し、中には9mにもなる巨大な仲間が現れました。アンモナイトです。このような形で(貝殻を捨てないで)、現存する仲間がオーム貝です。普段は300m以上の深海にいて夜になると浮いてきて浅いところで活動します。この仲間に憑かれた生物学者のお話は「オーム貝の謎」という本を読んでください。軟体動物がわがもの顔にふるまっていた中生代以前には海は硬いやつの代表三葉虫の天下でした。三葉虫は節足動物で、アンモナイトの後に天下を取ったのが魚です。 

 

 そういう大きなスケールの置換だけでなく、底生であまり動かなかった二枚貝や巻貝から積極的に泳ぎ群れを作って防御する烏賊が生まれたというのは、目の発達が大いに貢献しているでしょう。目が大きな脳を作りさらにいろいろな社会的な行動がとれるようになっていきました。烏賊は環境の多様性を覚えるそうです。そういう条件を刷り込むことができるそうです。鏡に反応し(好奇心)、鏡に映った自分を認識するそうです。こうして、環境の刺激が脳に変化を促し、脳はまた生物に新しい可能性をあたえます。人間の脳が大きくなり始めたのはごく最近、字が現れたのも数千年くらいしかたっていません。この間に、環境の信号は分解されて神経細胞に貯蔵され、今度はいろいろバラバラになった信号の一部が引っ張り出されて再構築される。それが字や動作で伝達され始めると、今まで考えられなかった可能性を生み出します。

 

 子供たちが自然から学ぶとき、それらの要素は将来どのような形で新しい組み合わせに結実するのか。動物の形や行動の進化から、私たちは人間の社会や子供の発達をサポートすることができます。でんでんむしや、ダンゴムシ、お玉や、イモリやコオロギなどすぐつかまえられる動物を飼ってみること、触ってひっくり返してどうするのか見ること、なぜそうするのか、そうするためにどうしてこんな形なのか、こどもたちが自分で自分の不思議を感じ、その問いを形成すること、これらは生物がこれまでの何十億年の間にたどってきた変化をたどることだし、卵が生体になるまでどのような変化をするのか、そのドラマは子供の発達の過程でも繰り返されているのと同じプロセスです。

 

 

 

 生物学というのは変わった材料の変わった行動や生活を捜しに、ほとんど探検家のような仕事をせざるを得ない時があります。南洋の深海に求めるオーム貝を求めて潜るときには潜水病やサメ、そして嵐の脅威にさらされます。こうして生物学者が少しずつ少しずつ対象に迫っていく物語は読んでいて感動を誘います。冒険など求めず安全なところで静かにしていれば危険はないのですが、大事なものを学ぶチャンスを失います。私は尋ねたことがないので確かなことは想像でしか言えませんが、年長さんがみた戸隠につながる素晴らしい森をアファンの森として保全しているCWニコルという作家がいますが、彼の書いた「裸のダルシン」という少年向けの本は私の大好きな本の一つです。想像力と冒険というのはおそらく背腹の関係にあるのではないでしょうか?マーク・トウェインの「ハックルベリ・フィンの冒険」も素晴らしい本です。せめて本の上だけでも子供たちに冒険の心を味合わせてあげたいものです。

 

 烏賊蛸の話から冒険のほうに飛んでしまいました。しかし科学も実は優れた冒険談と通じるものがあります。見たことも聞いた事もない筋道を通っていくと、驚く世界が現れるというところは共通です。星やムシやイカやクマムシや、ミツバチやほかのさまざまな者たちについてももっともっと話してあげると、きっと子供たちは冒険談のように興味を持って聞いてくるでしょう。保護者の皆さんは仕事や生活で忙しいと思いますが、もう一度小さな者たちの姿に注意し、こどもと一緒に驚異の扉を開けていかれると、それは子供の心の中に一緒に入っていく秘密の道が開かれるかもしれません。エビ天が出たときはエビの口を観察してみてください。エビ・カニは甲殻類のなかの十脚類という仲間で脚は10本あり、触角は2対4本ありますよ。言葉を覚える時はその表す本質をきちっと学ぶことが重要です。お茶という言葉を学ぶとお茶のかぐわしいにおいが頭の中で浮かんでくるように、そうきっと子どもたちは感じているのだと思います。私たちは忘れてしまった感覚かもしれませんが、もう一度共体験したいですね。