2020年2月25日
新しいステージに進んでいく時に
年が変わり、進級、進学に向けて最後の月になります。空も、すっかり冬の星座が現れて、ギンと身も引き締まります。赤城も、榛名も雪景色。冬の星座の主役は、オリオン座。英語ではオライオンといいます。この星座は腰のところの3連星で、容易に見つけられますが、右の肩に当たるところはベテルギウスという赤い一等星で、これと、左下にある、地球から見て一番明るいシリウスと、そこから左上にはね上げたところにあるプロキオンという3つで冬の大三角を形成します。このべテルギウスは赤色超巨星で、太陽が豆粒位にも見える大きな星です。星の一生は星雲から始まり、塵も積もればで、どんどん大きくなって赤色巨星になり(今黄色の太陽も同じ道をたどっており、そのうち太陽は地球の軌道のところを踏み越えていきます)、やがて自重が大きくなりすぎてインプロ―ジョン(爆発を意味するエクスプロージョンの反対)を起こし爆発し、芯のところだけになって残った、白色矮星になって終わります。今、ベテルギウスは昨年秋に顔を出してから光が1/3くらいになってしまっていて、冬の大三角の一つの頂点らしくなくなっています。つまり、今はもう爆発してしまった後かもしれないといわれています。ただ、この星は変光星という側面もあり、過去にも光が減衰したことがあるようなので、本当のところはまだよくわかっていません。さて皆さんは、そんな特別の年にこの幼稚園を卒園する、または進級するのです。
私も、ここにきて3年目が終わります。小さい皆さんのように、木の芽が開いて伸びていくような状態にある人々と接して、元気と勇気をもらい、大変幸せに思います。自然の美しさを教えるだけでなく、教育学そのものについても、勉強せねばと思っています。本年度は、ペスタロッチ―フレーベル学会という集まりに理事長代理で参加しました。また、最近、ジャン・ジャック・ルソーの「エミール」という本を読み始めました。ルソーは18世紀初頭にジュネーブに生まれ、「社会契約論」や「人間不平等起源論」などを発表して、フランス革命を準備したと考えられています。革命は彼の死のすぐ後で起こりました。しかし、ルソーはもう一つ大切な著作がありこれが、「エミール」です。孤児エミールを仮想して、彼を育てていく時に遭遇する、年齢別に現れるいろいろな教育的側面について綴っていきます。三巻本で、その第一巻が幼児から小児・児童に当たる年齢の子供たちです。3世紀もの前に書かれたものとは思われないほど、自然で豊かな提言があふれており、感心しました。木が自然に伸びていくように、うちからあふれてくる力に依存するというのが基本的な考えで、田舎で、職業的な境遇の中で、実際の技術や活動の中で、自然に身につく教育が目指されています。私生活では、スタンダールの「赤と黒」を彷彿とさせる女性関係もあったようだが(「告白」)、フランス啓蒙主義の非常に中核的な思想家といってよいでしょう。私の父は、旧制高校の文丙というクラスで、フランス語の人達と一緒に学んでいました。6年前に90歳直前で他界しましたが、最近「エミール」の原著の背表紙を切ってそこに書き込みを加えたものを弟が遺品の中から見つけました。最後まで読んでいたようです。それで私も読んでみようと思ったのかもしれませんが、良い選択でした。珠玉の言葉があふれています。
対照として、ジョン・ステゥワ―ト・ミルを取り上げておきます。彼はルソーより100年弱遅れて登場した、イギリスの、リバタリアンと呼ばれる思想家です。これも幼稚園の歴史では必ず登場するロバート・オーウェンを経てイギリス労働党につながっていくフェビアン協会に関連しています。「マイ・フェア・レイディ」というミュージカルの原本[ピグマリオン」を書いた、バーナード・ショーもこの辺りに現れてきます。ミルは英才教育の功罪について必ず語られる例です。父、ジェームスによって3歳でギリシャ語を習い始め、5歳かそこらでヘシオドスを原語で読んだり、11歳くらいでソクラテスをラテン語で読んだり、数学にも才能を示した人で、政治、経済、論理学に重要な功績を残し、バートランド・ラッセルにも影響を与えました。東大学長の引用で有名な言葉(下に引用)は、ミルのものです。学校には行かず(行かせてもらわず)厳しい父の英才教育を受けました。もう一人、同じくイギリスの文豪ラスキンが英才教育の例として語られます。こちらはお母さんによって、徹底的に聖書の文言を仕込まれましたが、結婚して妻との関係がうまくゆかず、晩年は不幸な生涯を終えました。2人とも、非常な英才でしたが晩年自分の教育を疑い、不幸な人生となってしまいました。3人目によく語られるのは、大学院の時、私のかよったアメリカのミズーリ大学のノ―バート・ウィーナーです。サイバネティックスという考えと言葉を作った人です。父はロシア系ユダヤ人の難民でミズーリ大学の教授でした。ウィーナーも、同様の英才教育を受けたが、学校に行ったのと、妹が生まれたのと、31歳で結婚して、英才のひずみを修正した例です。教育界の最大の論争は今でも、「氏か育ちか」 (Nature or Nurture)」という問題だろうと思われますが、英才教育もこの問いの変形で、父または母の強制と早期教育で豊かな人材が育てられるかというのは、ほとんどの場合は、何かいびつな点が現れ本人を不幸にするようです。
「満足した豚であるより不満足な人間である方がよい。満足した愚者であるより不満足なソクラテスである方がよい。そして愚者や豚の意見がこれと違っていても、それは彼らがこの問題を自分の立場からしか見ていないからである」— J.S. ミル。『功利主義』第二章
私の大学生時代の4年間は激しい大学紛争の時代でした。京都大学は全国でも一番激しい紛争校でした。私も自分の進路について、確信が持てなかったが、卒業後の方向を決めなければなりませんでしたので、昆虫学の内田俊郎という先生のところに行きました。先生は、昆虫なんかをやるとお金はもうからないけど良いか?君は昆虫をほんとに好きか?と尋ねられました。私は、はいと答えました。そうしたら、「好きなことをやるのが一番良い。昆虫の大学院へ進みなさい」「しかし、日本で一番優れた昆虫学者は弘前大学にいる。だから君は弘前へ行くのです」「弘前大学は修士課程までしかないが、その後は、アメリカの大学院に行ってドクターコースをやるのです」とおっしゃった。晴天の霹靂のようなことでしたが、わかりましたと答えました。弘前の2年間は、非常に充実した生活を送ることが出来、その後、ウィーラーもいたミズーリ大学のドクターコースで3年4か月、そして、デラウェア大学、マサチューセッツ大学(クラーク博士がいたところ)、イェール大学、それからオランダのワーゲニンゲンの農業大学で博士研究員(ポスドク)をして、日本に戻り、塩野義製薬に半年いて神戸大に移りました。8年間海外生活をしましたが、ともかく生活は目まぐるしく変わり、個人生活でもいろいろな出来事がありました。しかし、つらい時に、自分は昆虫学だけは最低やったと踏ん張ってこられました。弘前の正木進三先生には、多くの「はてな」を生み出す習慣を植え付けていただきました。
好奇心というのはとても強い感情で、しかも人をして人とするための重要な装置でもあります。精神分析医のなだ・いなだという人は、泣きわめく赤ちゃんの前に鍵束なんかを振ってやると途端に泣き止む。これは好奇心が、いろいろな欲求の中の優先順位で一番上に来る。この反射を「これはなんだ反射」と呼ぶといっています。「好奇心を育てる」とはどういうことか、私は、幼児教育では特にこのことの重要性を考えます。ルソーは、田舎で百姓をやることが重要だと説きます。農業に従事し、体も鍛錬します。私のコオロギ・ファームで、平井さんという近くの農家の方に仕事を手伝っていただいていますが、平井さんは朝の5時半から仕事を始められ、きちんと手抜かりなく仕事を進められます。時々作っておられる野菜などをいただくことがありますが、大きさや味など、スーパーの野菜からは想像もつかないようなものが多いです。百姓と呼ばれるようにいろいろな技術や知識が豊富です。私は、町家で育ちましたが、近所には、印刷所、豆腐屋、鍛冶屋に阿漕焼の窯場などがありました。印刷所で活字を拾ったり、印刷機が回ったり、鍛冶屋では、アセチレンガスのにおいが立ち込めていたり、大きなプールに豆腐が泳いでいたり、轆轤の上の粘土が魔法のように形を変えていったり、おまけに駅も近くでしたから、かなり至近距離で機関車が火を噴いて動いているのを眺めたり、生活の中でいろいろな仕事を観察して学ぶことが出来ました。集合的に百姓が成立していました。今はそういう製造過程を学ぶチャンスがありません。魚でさえ最近台所ではおろさないし、餅も切らない。近所に、山菜キノコや鰻とりを教えてくれるおじさんも見つけられません。フレーベルもそうした生活習慣から学ぶことの重要性について指摘しています。農業など、こうした生産技術は家族内で伝達され、次世代に伝えられて行ったのでしょう。
アメリカでは父親が息子に、車や、工作機や、果ては銃の操作を伝えます。これが息子にロールモデルを与えます。これが長い間アメリカのジェンダー・ロールを作らせてきました。実際、日本では、メカニック任せの私もアメリカ滞在中は車のチューンアップやオイル交換など自分でやったものです。友人がやっている農場で大型機械の操作をさせてもらった時に感じたのですが、地平線いっぱいのトウモロコシや、大豆の畑を巨大な農機で収穫していく現場でジェンダーというものがどうしたら機能していくか、難しいところもあるのですが、それでも私が渡米したのはサイゴン陥落の年で、Equal Right Amendment(男女平等法)の運動が高まり、女性の権利はずいぶん進展してきました。今、アメリカの大陸縦横断高速道路を走る巨大なトラッカーには女性が進出しています。日本でも生コン車の運転手やバスの運転手なども女性の進出が目立ちますが、それでも平均で基本給の男女差が50%ほどもあるのは問題です。人間らしい労働時間で、働いた人が、それなりの賃金を受け取って、生活を楽しんでいける社会ができなければ人口急減社会は脱却できません。美しい自然を守り、自然と調和した社会のモデル作りについて考えていかなければなりません。経済活動だけを進めていけば、地球の持続性が損なわれます。グローバリゼーションは、コロナウィルスなどパンデミックの危機も高めます。地球が病んでいくところで、新型核兵器や新型戦闘機の配備とは、政治は一体何をしているのでしょう?今の世に、ルソーが生きていたらなんと言ったでしょう?新しい世の中の世界市民たる私たちの小さき友達をどうやって育てていくか、私たちスタッフと保護者の皆さんは、知恵を合わせねばなりません。
3年間いろいろな行事に参加し、同級生と一緒に学んだり、歌ったり、走ったり、遠足に行ったり、踊ったり、うまくできなかった子をサポートしたり、生物を育て、サケを放流し、お芋を収穫し、リレーや組み立て体操にも挑戦し、オオムラサキや、オオタカなど希少種を育てたり、実にたくさんの経験をすることが出来ました。小学校に進級すると、教養の涵養に入ります。算数や、言葉の勉強と、体を鍛えていくことも重要です。芸術にいそしむこと、簡単な家族労動を覚えることも重要です。ご家族の皆さんは暖かく見守ってください。そして、好奇心を育てることが出来るようにいろいろな挑戦の機会を与えてください。人間はものすごい可塑性のある発達パターンを示します。失敗しても再度チャンスを与えてください。社会の中の弱い構成員を励まし、助けてあげられる人になってほしいと思います。ペシャワールで銃撃されて亡くなった中村哲医師の遺志を継いで僅かでも、私たちもできることをやっていかなければなりません。