2021年2月15日

2021年、新しい年に

2021年、新しい年に                      

竹田 真木生

 

 新型コロナの蔓延で、うっとうしい年明けになってしまいましたが、こういう時にこそ、新しい世界観が求められます。知恵を絞り、目標を定め、実践の足を踏み出していくことが重要だと思います。

 

 19世紀半ばから、イギリスはバーミンガムを中心に蒸気機関の発明を契機にして産業構造の爆発的な発展が世界を席巻していきます(産業革命)。それに引きずられてブルジョア階級が成立発展し、各国で市民革命がおこり、封建制が倒れただけでなく、この動きは発展した市民国家を、植民地支配へ駆り立てていきます。世界は、スペイン、ポルトガル、オランダ、そして英仏、ベルギーを中心にした列強による世界分割と帝国主義に邁進していきました。世界分割の帰結は、帝国主義戦争であり、遅れて日本も参戦していきます。こうして産業の爆発的発展にひきずられ、2つの世界大戦の引き金が引かれました。原爆という凄まじいエネルギーの解発技術が導入されました。レーニンは帝国主義戦争を内乱へというスローガンをさけび後進のロシアで社会主義革命を実現し、中国がこれに続きました。植民地の独立闘争がこれらの動きと絡み、東西冷戦と地球を7回破壊するほどの核による対峙の体制が始まりました。

 

 冷戦が終わってパックスアメリカーナの時代が動き出すかと考えられましたが、中東・アフガン戦争、ECの成立、中国の台頭で、世界はさらに複雑な状況に踏み込んできています。この間に文明は、核問題だけではなく、気候の温暖化、森林伐採・森林消失などパンドラの箱からこれまで見たことのないような魑魅魍魎を引きずり出してしまいました。人口問題、食糧問題、渇水、疾病、化学汚染、内分泌攪乱、人工知能による市民生活の支配と分断、などなど手ごわい敵が迫ってきました。地域戦争はなくならず、そこに宗教が絡んで、危機はむしろ増幅してきました。何十万人というシリア難民は、故国では爆撃、難民先では差別と貧困のために、正視に堪えない状況が生まれてきています。そこにコロナです。

 

 19世紀半ばには、チャールズ・ダーウィンが「種の起源」を表しました。この本が人アフガン類史上画期的であったのは、それまでのキリスト教的形而上学的考えによって、人は神の形に似せて作られた特別のものであるという考え方に大きな一石を投じたことにあります。チンパンジーと人の祖先が分かれたのは500万年前と言われています。ヒトの脳の肥大化は自然選択によって作られたことが明らかになりました。ヒトゲノムの解明に従って、チンパンジーと人の遺伝子組成についてはほとんど一致していること、ネアンデルタール人との類似はさらに顕著です。化石人類の発掘から人の脳容積の変化が急激に起こったのはわずか200万年前であること、脳については、ホモ・サピエンスはどんな原始段階のものでもほとんど変わらず均一です。何かが人の脳に起こって、これが人に文明を与え、それを用いて人は自然を改変し、今度は、それによって生じた世界に住み続けなければならないという新しい事態を招来してしまいました。初めジャングルに住んでいた先祖たちが、地球規模の乾燥に駆られてサバンナの住民になり、群れと道具(石器で骨髄を割ってタンパク質を確保しました。ハイエナの食い残しです)で、生き残り、野生動物の家畜化と、栽培植物の改良と農耕によって、その生存を確かにしました(第1次産業革命)。このあたりの出来事は、ジャレッド・ダイアモンドの「銃・鉄・病原菌」に詳しいので、ぜひお読みください。世界の歴史が、英雄豪傑によって決められるのではないことがよくわかります。さて、そうであればこの200万年前に作り上げられてきた人の変革、特に脳の変革について私たちはよく理解しなければ、あたらしい世界の動きには対応できないということになります。世界の変化は、どんどん急速になってきています。しかも失敗が許されない。何らかの必要性に迫られてヒトが200万年の間に作り上げたシステムが人の恒久的生存に敵対してくるのです。しかし、人は豊かになってこの200万年間に自然選択が人をどのように近縁の猿たちから違う動物になってきたかを理解することができなくなりました。地球の代謝活動は私が生まれた1950年あたりから、急変し、化石燃料を急激に消費し、地球のエネルギー収支まで変るところまで来てしまいました。ここで地球は新たな地質時代に入ったということでこれをAnthropocene(人新世)という名が使わられはじめました。ヒトが地球を変える地質時代という意味です。問題は人はどちらの方向に変えるかという方針を持っていないという恐ろしい問題をはらんでいるが、現在のやり方はもう続けられない。それをどうするかという点ではいろいろな意見が存在します。しかし、もう希望で物事を判断できるフェーズは通り越してしまいました。

 

 恐ろしい世界になってきました。私たちは、弱い人々を振り捨てないで、みんなが励ましあい、支えあって生存していく秩序を作り上げられるのか?このことが求められています。燃費のためにせっかくいろいろな技術を開発しても、無駄使いをして巨大なSUVを購入してしまいがちだし、ハイブリッドやEVを進める同じ会社が大型車も売っていたりします。せっかく科学技術を進歩させても、その成果を戦争に向けてしまうのでは、人類の絶滅を加速するだけです。いろいろなものを、資源だけでなく負担もシェアし、リスクを最小にしていく生活態度が必要です。私は1982-3年にWageningenオランダの小さい町に住んでいましたが、大きな町でも土曜の午後から日曜にかけて店はほとんど100%閉めるし、買い物袋は自分で持っていき、自転車道がどこでもありました。これはなかなかいい方法だと思いました。経済的だし健康にもよい。しばらくしてからまた訪ねたらtrain-taxiという制度ができていて、これはAというところからBに鉄道で移動するとしましょう。その時このtrain-taxiで切符を買うと降りた駅で専用の電話をかけるとタクシーが来て安い値段で乗り合いで目的の住所に運んで行ってくれるというシステムです。これだと大きなバスが間隔をあけてくる長い時間を待たずに済むし、歩く距離も少なくて済みます。バス会社もコストを節減できます。昔からDutch treatというのは割り勘のことで(割り勘で行こうというのは“Go Dutch”です)、必要物はシェアし、自分でできることは自分でやるというのがオランダ人の生活態度でした。小さなレンタルの菜園を多くの家庭は持っていました。food mileageという考え方は、globalizationをひっくり返して、近くのシステムを整え、近くで経済活動ができるようにしなければいけないと説きます。私たちも、人間性の再獲得のために、休む時は休み、家族との時間をしっかり確保し、家庭の中で親から子供への伝統を伝えること、家族で形成してきた文化を伝えることも大事です。何気なく出来合いのシステムに依存せず、できるだけ家族で生産し、家族で加工し、家族で創造し、家族で楽しみを増やしていくのです。   

           

 理事長の服部家の皆さんも家族でそれぞれの楽器や歌を演奏し、合奏などして楽しそうです。アメリカも最近はファストフードやテレビが家庭にも入ってきて、お母さんからパンや、ケーキの焼き方を学んだり、お父さんから車の修理を学んだりすることがだんだん少なくなってきているようですが、割と手作業を重視する社会ですね。私もある時友達のうちを訪ねて驚いたのは、丘の上の大きなうちで、馬まで飼っているようなところでした。兄弟が12人いる家で、そのうち4人が私の通う大学で勉強していました。私がトロンボーンを吹いたと言ったら、そこにいた5-6人が違う楽器をもって集まってきて即席のバンドができたことがありました。お母さんのことをファーストネームで呼んでいました。私も今は自分の車を自分で直したりしませんが、その時は、オイルやプラグ、オイルフィルターのチェンジ、点火のタイミング調節など簡単なメンテは自分でやっていました。友達が皆自分でやっていましたので教えてもらいながら。皮肉なことに、生活が便利になり、みんな人任せになってしまうと個人の全体性というものが損なわれていきます。野菜を育てたり、魚を釣って自分でさばいたり、のこぎり、カンナ掛けを含む簡単な大工仕事,薪割り、風呂焚きなども昔は子供の仕事でした。今はお母さんでも魚をさばく人が減ってきました。魚がどういう内臓を持っていて、それらはどのように働いて生命活動を営んでいるのか、だんだんわからなくなってきました。人間がどうして生きているのかもわからなくなってきました。個体としても類としても。私たち個人の中に自然がどのように折りたたまれていて、時には伸長し、時には変形して現れてくるのか、だんだん見えなくなってきました。新しい世界を迎えるためには、ここらからしっかり考え直して、自分のスピリチュアルな力を見つけ、それを全開にして、一つ一つ再生力の回復の作業を始めなくてはなりません。もう無駄にする時間はありません。

 

 ワクチンが早く、多くの人にいきわたり、コロナを制圧する日が早く来ることを祈っています。このパンデミックは我々のあたらしい時代の一つの試練です。これを克服して、さらなる脅威に備えましょう。子供たちが、成長し、あらゆる種類の試練に耐える力を育てていくのをどうサポートするか知恵を絞りましょう。子供たちの戦いは、大人の世代の姿を見て形を整えていきます。私たちも憎悪をあおらず、責任転嫁もせず、反省するところはし、愛と知恵を集め、よいシステムの見本を示さなければなりません。今あるシステムを作ったのは私たちです。責任を自覚しなければなりません。子供たちが、必ずこの苦境を克服する知恵と勇気と力があることを信じて、共に進みましょう。