2018年6月28日

子供たちにどんな本を読み聞かせるか② 「ジャングル・ブック」

「ジャングル・ブック」

 

 

 

 もうすぐ、宿泊保育があるので、今日は森にちなんだ本を選びました。ジャングルというのは密林という意味の英語ですが、もともとサンスクリット語の森林や砂漠を示すジャンガラがヒンズー語、そして英語のボキャブラリーに入ったものだそうです。

 

 

 著者は、インドで生れたイギリス人ラディヤード・キップリングです。主人公のモーグリという名は、ヒンズー語でカエルという意味だそうですが、オオカミに育てられ、オオカミの子としてジャングルの掟に従い、ジャングルの動物の秩序を守るために、悪いトラのシアカン、サルの群れ、赤犬の軍団と戦い、勇気とその知恵によって動物たちの尊敬を集め、その王として君臨する物語ですが、ヒトの社会も彼らと敵対的なものとして描かれます。

 

 

 「銀河鉄道の夜」で宮沢賢治も、サソリが他のものを殺さなければ自分が生き続けられない状況について、主人公ジョバンニの心を悩ませまる場面を書いていますが、ジャングルの構成員の中には、オオカミの群れをはじめ、黒豹(バギーラ)や熊(バルー)、大蛇(カー)やワシ、その他の肉食獣がいます。彼らの行う狩りの意味を、はじめに問います。そしてオオカミの群れの掟が提示されます。家族を養うためだけに殺すことはよいが、楽しみのために殺すことは許されない、ヒトを襲うのも法度、正義のために堂々と戦え、ほかの動物たちの利益も尊重せよ等々。こうしてジャングルにはジャングルの掟があり、それが守られる・・・これを脅かすものが、1匹では誰もかなうものがないトラ、掟の外で暮らすサルの群れとヒト。そして、ものすごい軍隊を形成する赤犬たちでした。彼らの、侵入と無法に打ち勝つために、モーグリの知恵と勇気が動物たちの尊敬を集めます。でもその戦いはかなり凄惨で、ちょっと子供には刺激が強すぎるのでは、という余計な心配もさせます。

 

 

 キプリングはノーベル賞ももらい、インドのことも深く理解を示しますが、あくまでイギリス人で、女王陛下の下での秩序、イギリス帝国主義の正義も信奉しています。モーグリも最終的にはジャングルを去って、人間の社会に戻り、結婚し、公務員になって人生を終える構想なのだそうです。こうして少年が、悪い勢力と戦い勇者となっていく筋の話をイギリス系の人々は好むのでしょうか、C.W. ニコル(長野県北部でアファンの森という自然林を守っています)というウェールズ出身の人が”裸のダルシン“というお話を書いていますが、これもいい本です。正義感、勇気、知恵というものは、日常の生活の中で大切にされ、試練の中で身についていくという点では、同じ系列の話であるのでしょう。生きていくということにはどういう覚悟がいるか、確かに、それは大事なことではあります。先月のドリトル先生のお話と比べながら味わっていくとよいでしょう。ここには、少年トミー・スタビンスが出てきます。しかし、人生への考え方は同じ国を出、外国で生活したイギリス人が書いたにしてはかなり違っています。

 

 

 さて、ちょっと子供には難しいかもしれませんが、河合雅雄先生の「森林がサルを生んだ」という本を読むと、モーグリの従うジャングルの掟から、ヒトへの道が、よく説明されていると思います。サルは樹上生活に適応し、3次元的な空間を占有することが出来たため、ほかの動物に比べ、肉食獣から逃れ、ずっと豊富な資源を利用できることになりました。人になる道は、この森を出て開けたサバンナに進出していくところに続き、武器や道具の利用につながります。そこで生まれたサルそしてヒトの社会の問題は、人口調節の必要性です。このような文脈の中で仲間殺しや子殺しが生まれることが説明されます。河合先生は、サルや類人猿のフィールド調査をずいぶん長く行ってこられました。人の好戦性と武器の起源を考えるうえで、棒を変形して槍にするなどのことは、食料の効率的利用のための道具の形成が先行し、その文化によって人口爆発が起こったと考えます。サバンナに進出し、ヒト化する中で、予定調和を乱す人の内在的な悪について森の重要性が議論されています。

 

 

 食料確保―生殖―文化―人口調節の軋轢の中で、いろいろなサルの社会には、いろいろな社会制度があることが興味深く紹介されます。ゲラダヒヒ(平和的な種)とマントヒヒ(好戦的な種)の間には社会性にかなり大きな違いがみられます。スタイルの違いはあれ、モーグリの物語とサル(人も含めた)のお話には大きな共通点があるというのは驚くべきことだし、子供たちにはいろいろ考えさせる材料ではあると思います。

 

 

 モーグリの方で、傍若無人にふるまうサルの群れとの戦いの中で、先の尖った棒が出てきますが、森の動物たちはこれを「死」だ「死」だと認識します。生きていくことは、ほかの多くの命を奪うこと。こうして成立している生命の秩序を守り、みんなで栄えていくために、悪魔の顔も持つわれわれヒトは、何をしたらよいのだろう。何をしてはいけないのだろう。子供と一緒に考えていく必要を感じました。宮沢賢治も同じ問題を考えていたのですね。

 

 

 戸隠の山は深く美しい森が広がっています。いろいろな生物がその中で生き、命をつないでいます。この森の中で子供たちがどんな美しい生き物の姿、その営みを見つけるか。何も語らぬものの声も聴き分けられる子供になっていってほしいと、私は思います。